BRAND HISTORY
「私たちは、300年前からいつくしみを届けることで、
ロンジェビティを目指す医師でありメーカーでした。」
1731-1845年
初代〜四代目



技術
整える医学、漢方。
当時の日本医学の主流は漢方でした。自然の力で人体のリズムを整え健康に向き合う。中国から渡ってきたその医学は今でこそ古風に映るかもしれませんが、1700年代において最も必要とされていた技術でした。初代養庵から続く阿部家の医師たちはその時代の医学を誠実に習得し、藩主の健康を守る技術として磨き続けました。
Remarkable History
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1731年初代 阿部養庵貞維
藩への往診の手当てとして扶持籾(米)を年間五十俵(300kg)を藩よりもらい受ける。
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1734年二代目 阿部養庵貞固
松平家の家臣に召し抱えられ、給与として十五人扶持(27石相当)と薬種代として年三両をいただく。
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1783年三代目 阿部養庵貞好
松平家より御側医師席を命じられ薬種料として年三両いただく。
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1814年四代目 阿部養庵貞道
松平家より御側医師席を命じられ薬種料として年三両をいただく。
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1844年
松平家より御側医師席を命じられ二人扶持を加増。合計二十人扶持となる。
人
武士から御典医へ、養庵の誕生。
養庵の名のはじまりは一人の武士でした。九州豪族・菊池氏末裔の菊池貞維(さだふさ)は、阿部家の婿養子となり漢方医として開業。以後は屋号を養庵とし、初代・阿部養庵貞維となります。貞維がなぜ漢方医を志したかは不明ですが、墓誌には「医薬の道を志してただひたすらにたしかな道を探求し、ついには生業とした。」と刻まれています。1731年(享保十六年)、その腕を見込まれ松平家の御典医として召し抱えられます。養庵の屋号と御典医の職位は二代・貞固(さだかた)、三代・貞好(さだよし)、四代・貞道(さだみち)、五代・貞一(さだかず)へと受け継がれます。
時代
藩の信頼を一身に担った御典医。
江戸幕府の安定した統治のもと、武家社会では藩主の健康管理が政治的な意味を持っていました。御典医とは単なる医師ではなく、藩の信頼を一身に担う存在です。一方で長崎を窓口に西洋の知識が少しずつ流入し、医師たちの間で新しい学問への関心が芽生え始めた時代でもあります。四代、百年余りにわたって積み上げてきた時間が、次の時代に大きな転換を迎える五代目の礎となっていきます。
1846-1869年
五代目



技術
蘭学が開いた新たな医学の地平
適塾では蘭学、すなわち西洋の医学・科学を学びます。当時の蘭学は、自然科学や解剖学など、漢方では扱わなかった領域を開拓する知識でした。貞一は先代たちから受け継いだ東洋の医学と、最先端として台頭しつつあった西洋の医学、その両方を自らの中に統合しようとした最初の養庵です。この精神が現代の阿部養庵堂薬品にまで受け継がれています。
Remarkable History
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1846年(弘化3年)五代目 阿部養庵貞一(さだかず)
医術修行のため江戸滞在中三人扶持をいただく。また同年亡養庵の家督十三人扶持をいただく。格式は医師本席を命じられ薬種料として年三両いただく。
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1855年(安政2年)
華岡青洲・鹿城による華岡流外科塾「合水堂」に入門。
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1856年(安政3年)
福沢諭吉らとともに緒方洪庵が主宰する適塾に入塾し蘭学を学ぶ。
人
東西の医学を統合した養庵。
五代目・阿部養庵貞一(さだかず)は、緒方洪庵が大坂に開いた適塾に入門します。同門には、後に慶應義塾大学を創立する福沢諭吉もいました。さらに世界で初めて全身麻酔手術を成功させた華岡青洲の合水堂でも外科修行を積みました。漢方医の家に生まれながら西洋医学の最前線へ身を置く貞一は、帰郷後は外科医として診療にあたり当時致死率の高かった天然痘ワクチンの接種普及にも尽力しました。
時代
漢方と蘭学、激しき論争の時代。
幕末から明治にかけて、日本の医学は大きな転換期を迎えました。幕府が禁止していた蘭学が急速に広まり、漢方医学との間で激しい論争が起きていた時代です。貞一が東西の医学を学んだのは、そうした時代の必然でもあります。その時代の最先端に向き合うことを貞一もまた選んでいました。
1870-1922年
六代目

技術
東洋と西洋を体現した薬剤師。
御典医として代々受け継いできた生薬の知識を土台に、實は西洋薬学の調剤技術を習得しました。東洋と西洋、伝統と革新。その四方を一人の薬剤師として体現し、広く人々の健康へ届けようとしたその姿勢もまた、今日の阿部養庵堂薬品の姿と重なります。
Remarkable History
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1870年(明治3年)六代目 阿部實
浜田藩最後の明細分限帳に八人扶持として名前が残る。
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1887年(明治20年)
薬舗開業試験に合格する。幕末の動乱後、東京で薬剤師を始める。
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1909年(明治42年)
東京市芝區西久保櫻川町(現在の東京都港区虎ノ門)から東京市牛込區富久町(現在の新宿区富久町)に転居。
人
動乱を越え、虎ノ門へ。
六代目・實(みのる)は父の死去に伴いわずか2歳で家督を継ぎ、9歳で明治元年を迎えます。明治維新の動乱の中、松平家に仕える家臣団は官軍に追われる立場になり、實は母とともに幼いながら、東京まで逃げ延びます。成人した實は明治二十年(1887年)に薬舗開業試験(現在の薬剤師試験)に合格。西洋式薬舗がまだ珍しかった時代に、虎ノ門に薬舗を構えました。先代から受け継いだ蘭学書と薬箱を肌身離さず持ち続けた六代目でしたが、それらは関東大震災ですべて失われてしまいます。
時代
西洋医学が主軸となった明治。
明治維新により、日本の医療制度は根本から変わりました。西洋医学が近代医療の主軸となり、医師と薬剤師が分業される時代の到来です。阿部家も御典医から薬業へと形を変えながら、東洋と西洋の四方の知恵を手放さずに歩んでいきました。激動の時代を越えながら、阿部家はやがて現代の健康産業へとその歩みを向けていきます。
1923-1983年
七・八代目



技術
健康の届け方の転換、処方から製品へ。
阿部家で唯一、健康産業から離れた和友が選んだのは電気インフラを普及させる事業です。当時の日本において電気インフラはまだ導入期にあり、現代のITやAIの普及に重なるような、時代を塗り替える技術でした。医療の外に出ても、最先端に向き合う姿勢は変わりません。八代目・和夫が変えたのは健康の届け方でした。処方という形から、誰もが手に取れる製品という形へと視野を広げました。
Remarkable History
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1923年(大正12年)七代目 阿部和友
明治、大正、昭和初期の日本構造変革期、当時目新しい先端技術であった電気インフラの黎明期において、その普及事業にも取り組み、人々の暮らしや地域の発展、復興に尽力した。
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1960年(昭和35年)八代目 阿部和夫
江戸期に国内で発明された民間薬の梅の濃縮エキス「古式梅肉エキス」を、一般の人も気軽に服用できるようにと製造開発に着手。赤痢、チフス、食中毒、消化不良に良いとされる商品を瓶に詰めて発売した。
人
時代の最先端を選んだ七代目と八代目。
七代目・和友は、明治から大正にかけて黎明期を迎えた電気インフラの普及事業に取り組み、電気を人々の家に届けました。人々の暮らしや地域の発展、そして関東大震災からの復興に尽力しました。八代目・和夫は、梅の濃縮エキスを瓶詰め製品として製造・販売。戦後の混乱期において衛生環境が十分でなく、様々な健康被害に悩む地元の人々へ解消の手段として届けました。これが現在のサプリメント事業の直接的な源流です。
時代
民間に広がった、日常の健康という概念。
戦後の復興とともに人々の生活が豊かになるにつれ、健康への意識も高まっていきました。病気を治すだけでなく、日々の健康を自ら守るという発想が民間に広がり始めた時代です。和夫が手がけた梅エキスの瓶詰め製品は、そうした時代の空気を捉えたものでもありました。現在のサプリメント事業の直接的な源流は、この時代に生まれています。
1984-2016年
九代目



技術
空輸という選択が示した、妥協なき姿勢。
プロポリスは、ミツバチが巣を外敵や細菌から守るために作り出す天然素材です。植物の多様性が豊かなブラジルで採取されるプロポリスを、和重は日本の人々のために役立てようと、その品質を高く維持するために奔走しました。ブラジルから赤道直下を通る船便では、船底温度が50度以上になると蜂産品の酵素が失われるリスクがあるため、輸送コストが高くなったとしても空輸を選びました。素材の品質を妥協しないという姿勢はここで確立します。
Remarkable History
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1984年(昭和59年)九代目 阿部和重
有限会社阿部養庵堂薬品を設立しサプリメントの販売を開始。
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2004年(平成16年)
ブラジル有機農園と提携し、オーガニックプロポリスを販売する。
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2004年(平成16年)
日本ブラジル大使館にて健康物産展を共同開催。
人
品質への信念を次代へ託した創業者。
起業家として会社を設立した九代目・和重は、南米の旅の途中でブラジルにて病に倒れ入院しました。そこで出会った薬剤師と夫婦となり、ミツバチが巣を守るために生成する天然素材プロポリスをはじめ、アガリクス、マテ茶といった南米の健康素材の可能性に着目。日本へ持ち帰り自社オリジナル製品を開発し、一般の人々への販売を始めました。日本国内でプロポリスへの関心が急速に高まる中、高品質な製品は広く支持を集めることとなります。
時代
サプリメントという概念の夜明け。
日本でサプリメントという概念が芽生え始めたのは、1980年代のことです。健康への関心が高まる中、プロポリスをはじめとした天然素材への注目が急速に広がりました。市場が拡大する一方で、不確かな情報が飛び交う時代でもあります。素材と向き合い、品質を守る。そして確かな情報とともに届けること。九代目が生き抜いたこの時代のすべてが、十代目の原点となっていきます。
2017-現在
十代目

技術
養生の知恵が、現代科学と交わる。
漢方が説く気血水、体内の巡りを整えるという発想は、現代の成分設計にも息づいています。三百年受け継いできた養生の知恵を根幹に、先進成分の可能性に向き合う設計思想が現代の養庵堂の心得。その品質は科学的な検証によって裏付けられ、世界の舞台でも認められています。
Remarkable History
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2017年(平成29年)十代目 阿部朋孝
阿部養庵堂薬品 代表取締役社長に就任。
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2019年(平成31年)
日本で初めての法令遵守したNMNの販売を開始。
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2020年(令和2年)
NMN製品の海外販売を開始。
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2023年(令和5年)
株式会社 阿部養庵堂薬品へ社名変更。東京大学、東京理科大学との共同研究を開始。
人
養庵の屋号を刻み、未来へ向かう十代目。
創業から290余年。十代目・朋孝(ともなり)は2023年、先祖代々受け継いできた養庵の屋号を社名に刻みました。日本においてNMNの可能性にいち早く着目し、九代目から受け継いだ素材への敬意と、科学的エビデンスの重要さを両輪に研究開発に努めます。世界最大級の長寿科学コンペティション「XPRIZE Healthspan」ではセミファイナリストとして老化という人類の課題に挑み、三百年にわたる家系として現代もなお最前線に自らの身を置いています。
時代
老化を病と定義した新たな時代。
ロンジェビティという概念が世界規模で広がる現代。老化を科学で証明する動きが各国の研究機関や企業の間で本格化し、健康に生きられる時間を延ばすことが人類共通のテーマとなりました。伝統と革新。その先に、若さを養い生命を磨く未来を見据えて、養庵が紡ぐ健康への志は今も進化しています。